精進料理 ~食文化に影響を与える禅の精神~


近年、世界中でヴィーガンに関心を持つ人が増えていますが、同じような菜食の食スタイルとして、日本には古くから精進料理がありました。
現代における精進料理というと、膳に様々な椀や皿が出され、こんにゃくがお刺身のように盛られ、胴ナスの照り焼きがまるでステーキのように皿に載せられている、華やかで創作性に溢れたベジタリアンな和食というイメージでしょうか。改めて、精進料理の成り立ちや歴史、背景について考えたいと思います。

精進料理の画像

精進料理とは?

精進料理は仏教と関係がある料理であるということは知られていますが、仏教の経典に精進料理という言葉は見当たらないそうです。精進料理を理解するには先ず「精進」という言葉の意味を知る必要がありそうです。
  
「精進」を辞書で調べると、

1.雑念を去り仏道修行に専心する事、
2.一定の期間行いを慎み身を清める事、
3.肉食を断って菜食をする事、

などと出てきます。
  
どうやら、精進料理とは仏道修行のための食事であり、仏教の戒めに基づき殺生や煩悩への刺激を避けることを目的とした料理ということのようです。
仏教の修行の一部である精進料理は、仏教の伝播とともに中国、朝鮮、東南アジア、そして日本へと広まっていきました。9世紀頃の日本では、仏僧の食事を精進料理と呼んでいたようです。

精進料理を発展させた禅宗

日本における精進料理を発展させたのは禅宗です。
禅宗では日常生活も修行の一部と考えるため、料理や食事も修行として重要視しました。
  
13世紀、禅宗である曹洞宗の開祖、道元は中国留学後、調理の心得を示した「典座教訓」(てんぞきょうくん)と、食事の心得を示した「赴粥飯法」(ふしゃくはんぽう)をまとめました。詳細で具体的な説明がされているもので、道元が食事行為をいかに大切な修行として捉えていたかが想像できます。
そして、曹洞宗の大本山、永平寺の調理場の責任者である「典座」は、非常に重要な役職の一つとなっています。
  
なお、精進料理は菜食ですが、味付けは比較的しっかりしていると言われています。曹洞宗が公家階級ではなく武士階級から支持されることの多い宗派であったことを考えると、身体を激しく使うことが多い武士が、塩分を多めに求める傾向が強く、そのことに影響を受けたのかもしれません。

永平寺の画像

単なる野菜料理ではない精進料理

禅宗の精進料理は、調理・食事・後片付けまでを含めた一連の流れを修行と捉えたものであり、単なる野菜の料理ではありません。
  
基本ルールがあります。
調理の心得として「心から喜んで調理する姿勢」、「思いやり」、「冷静さ」が求められます。また調理の技術として「甘い」、「辛い」、「酸っぱい」、「苦い」、「塩辛い」の五味に加え、素材を活かす味の「薄さ」も重要となります。
  
食材としては、肉、魚、卵などの動物性素材は使いません。また、ニラ、にんにく、ねぎといった匂いの強いものは、怒りの感情や煩悩を刺激し修行の妨げになるとされ、禁じられています。
食事に際しては、食前に5つの文言を唱えます。その内容は、「多くの人がいてこそ食事できる」、「自分はこの食事に値するか?」、「怒りやむさぼりが心にないか?」、「食事は痩せ衰えないためのもの」、「お釈迦様と同じように食事をいただきます」というものです。
食事中は背筋を伸ばし、箸と器は両手で扱い、咀嚼中は箸を置き、しゃべってはいけません。また、食後はお茶やお湯とたくあんで器を洗います。
  
食を通してのこれら一連の決まり事や行為には、自身と向き合い、他者を思いやり、感謝する姿勢を醸成するものだと感じます。

懐石料理と精進料理

精進料理と同様に、禅宗と関係が深い食スタイルに「懐石料理」があります。
懐石料理は、16世紀に茶の湯の大家、千利休が精進料理にヒントを得て発案したものと言われ、一汁三菜のシンプルな形式です。その名の由来は、中国の禅僧が空腹に耐えるために温めた石を懐に入れたという故事にあるそうです。
  
お茶は、曹洞宗と同じく禅宗である、臨済宗の開祖、栄西が12世紀に日本で普及させたと言われています。お茶は当時とても貴重で、庶民が手にする機会は少なかったようですが、戦国時代には公家や僧侶、豪商、武士が客の「もてなし」としてお茶を利用していました。その「もてなし」の心が茶道として体系化され、お茶を美味しくいただくための食事として、「懐石料理」が生み出されました。
  
ある意味、僧侶の精進料理が公家、豪商、武士にも合うようアレンジされたと言えるかもしれません。そして、精進料理は仏道修行の「悟り」の一貫であり、懐石料理は茶道での「もてなし」のそれとも言えそうです。

懐石料理の画像

肉を食べていたお釈迦様

精進料理は肉食を禁じていますが、インドで仏教を開いたお釈迦様は肉を食べることもあったそうです。托鉢を行い、民衆から食事の残りを貰い受けていたのですが、その中に肉があれば食べていたということです。
  
不殺生の戒律があるため、僧侶自身が狩りや漁をすることはなかったようですが、当初は厳格な菜食主義ではありませんでした。ただし、僧侶自身ではなくても、自分のために殺生された動物を食するのは禁じられていました。
  
このように、元々は菜食主義ではなかったですが、インドにおいてヒンドゥー教が支持を広げていく過程で「肉食は穢れたもの」との考え方が主流となり、肉食がタブーになったようです。

和食に影響を与えた精進料理

精進料理では魚、肉、卵等の動物性食材や匂いの強い野菜が禁じられていたため、それらに変わる食材として「もどき料理法」と呼ばれる調理法が発展しました。
例えば、雁の肉の代用とした「がんもどき」や、こんにゃくの「刺身仕立て」があります。
  
栄養価が高く、菜食で不足しがちなタンパク質を豊富に持つ大豆は精進料理でよく用いられます。精進料理では、味噌、醤油、豆乳、湯葉、豆腐、油揚げなどに加工された大豆を利用しました。
  
更に、野菜のうま味を引き出すための、出汁などの調味料や薬味が生み出されました。そして、野菜を主要食材とする精進料理では、アク抜きや水煮といった下処理を必要とすることが多く、これらの調理技術はその後の和食に大きな影響を与えたと考えられています。
  
今日、和食で供されるものの多くが精進料理から生まれたもの、といっても過言ではありあません。

精進料理とヴィーガン

今、食料資源や地球環境についての問題が盛んに議論されています。
  
野菜生産に比べ、食肉生産がより水や土地といった資源を必要とし、地球温暖化への影響度が高いという観点から、地球環境に負荷をかけにくいヴィーガンの考え方への関心が高まり、支持が増えています。ヴィーガンには、地球環境だけでなく健康や動物愛護などの観点から興味を持つ人も多くいます。
  
精進料理もヴィーガンと同じく動物性食材を使わず、不殺生の考え方があるため、日本古来のヴィーガン料理といえるかもしれません。
  
今日、欧米のヴィーガンやベジタリアンは、日本の精進料理にも強い関心を持っていて、特に寺院で体験する精進料理についてはスピリチュアルな魅力も加わり、日本におけるエキセントリックな体験の1つになっているようです。

ヴィーガン料理の画像

まとめ ~禅(精進料理)の調和精神~

精進料理は修行僧が食べる簡素な食べ物でしたが、食材に制限がある中で生まれた工夫や技術が時代と共に進化、発達し、今日の和食の発展に大きな影響を与えました。
  
一方、時代が進んだ今、動物性食材の取り過ぎによる人々の健康問題や、食肉生産による地球環境への負荷増大の問題が大きく取り上げられています。そして、動物性食材を食べない、あるいは減らそうという食スタイルへの関心が高まり、精進料理は改めて注目されています。
  
精進料理を発展させた禅の精神には、「おおらかな心」、「調和」というテーマが根底にあるように思えますが、おおらかな心で地球環境(自然)と調和することが今求められているのかもしれません。

この記事を書いた人

食いしん坊侍 代表 大森 弘理
食いしん坊侍 代表 大森 弘理食いしん坊侍 代表
2009年にBFK㈱を設立し、「食いしん坊侍」商品を開発、展開。
食材や料理の背景にある自然や歴史にも強い関心をもって活動しています。機会を見つけて生産現場に赴き、時には漁師体験をさせてもらい勉強しています。

Leave a comment

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA