福井県若狭小浜の名産「鯖」


これから、日本各地の名産について順次紹介していこうと思います。「食いしん坊侍」目線で、歴史や文化の背景に触れていければと考えています。
名産シリーズ第一弾は、我が家の菩提寺がある福井県の若狭小浜です。若狭湾は古来より海産物が豊富でした。また、小浜はかつての昆布流通の重要拠点の一つであり、昆布関連商品に力を入れている「食いしん坊侍」との不思議な縁を感じずにはいられません。

 
鯖の画像

海産物王国の若狭小浜

寒流と暖流が流れ込む若狭湾は良好な漁場として知られている。そのためか、古くから若狭(福井県の陵南地方)は「御食国(みけつくに)」と呼ばれ、朝廷に海産物を多く献上していた。とりわけ製塩が盛んで、7~8世紀には税として塩を納めるよう定められていた。

小浜は京都の外港としての役割を担い、多くの海産物を集積していた。戦国時代の頃より海産物を京都に運ぶ街道が整備され、当時水揚げが多かった鯖を運ぶ道を「鯖街道」と呼ぶようになった。

そして江戸時代になると、昆布をはじめとした物資の輸送を担う北前船が敦賀や小浜を一大拠点としたため、大いに栄えた。

福井県若狭小浜の名産品

小浜には、皇室にも献上する高級な若狭かれい、小鯛の笹漬け、若狭ふぐ、そして水温差ゆえに美味しく育つ牡蠣など、評判の高い海産物がたくさんある。

特徴的な郷土料理としては、鯖の漬物「へしこ」が挙げられる。知名度からいえば、焼き鯖が最も広く知られているだろう。

鯖の流通

鯖は昔から北海道の一部を除いた日本中で獲れるため、我々日本人の多くにとって鰯(いわし)や鯵(あじ)と共に最も馴染みのある魚である。
鯖は痛みやすいが、獲れたら直ぐ血抜きをし、内臓を出して塩をすれば、常温でも3~4日持つし、塩をすることによって味も良くなる。そのため、冷凍、冷蔵設備のない時代においても、海に近い所だけでなく山間部においても貴重なタンパク源として鯖は流通した。

私が生まれ育った奈良の吉野でも、6月1日の「川開き」には「柿の葉寿司」という押し寿司を河原に持ち寄り、家族で食事する風習があった。酢飯にしめ鯖を乗せ、新緑の青々とした柿の葉で直方体に包み、特製の木箱にキッチリ並べ、上から重石を乗せて2~4日ぐらいしてから食べる。

話が少し逸れるが、近頃ではこの柿の葉寿司が奈良名物になっている。海のない県に海産物を使った名物があるのはちょっと皮肉に思えるが、静岡県で採れたアワビを煮ることで出来る山梨県名物の「煮貝」と同じケースだ。
これらは、冷凍技術や設備がない時代に、海のないところで海産物を如何に安全にしかも美味しく食するかという知恵の産物に他ならない。

小浜と京都を結ぶ「鯖街道」

「京は遠ても十八里」と言われてきた。小浜と京都は70~80kmの距離で、割と近くにあるということだろう。
古来より小浜は京都の外港として日本海の海産物を都に運ぶ港として発展した。とりわけ、若狭湾で年中獲れた鯖は若狭の塩をまぶし、丸一昼夜かけて京都に運べばちょうど良い塩加減となる。焼いても煮ても美味しく、都の人々の口を楽しませ、且つ良いタンパク源になっていた。
  
こうして大量の鯖が運ばれたことから、小浜から京都の道は「鯖街道」と呼ばれ、多くの人たちが小浜と京都を往来した。
 
「鯖街道」には多くのルートがあるが、最も多く利用されたルートは朽木谷を経由する若狭街道だ。
織田信長が行った越前攻めの退却ルートとしても知られていて、当時の幹線道路の一つだったのだろう。

若狭小浜の名物「焼き鯖(浜焼き鯖)」

若狭小浜の名産の代表格といえば焼き鯖だ。開いた大鯖に塩をして丸ごと串に刺して焼いたものである。
 
豪快な見た目とは裏腹に、水分や脂を大量に含む鯖の身が崩れてしまわないように、脂が出過ぎないように繊細に焼くことが求められるそうだ。
絶妙な焼き加減で焼き上げられた浜焼き鯖は、ふっくらとして、コクがあり、うまみが凝縮されている。
 
若狭小浜の焼き鯖の画像

鯖寿司の色々

鯖の食べ方として、鯖寿司は全国的にポピュラーだが、一言に鯖寿司といっても色々なスタイルがある。
 

鯖寿司(鯖棒寿司)

現在日本中で食べられているが、どちらかというと関西以西に多い。元々は京都が始まりで、小浜などから鯖を数日かけて京都に運ぶためには、塩漬けして酢で締める必要があった。このようにして締められたしめ鯖を寿司にしたのが鯖棒寿司の始まりのようだ。
竹の皮で巻くのが本来のやり方らしいが、今日では3枚に下ろしたしめ鯖を巻き簾に乗せ、酢飯と一緒に丸みを帯びた形に巻く。
 

バッテラ

関西特有の押し寿司の一つで、酢飯の上に鯖と薄い昆布が乗っている。
元々、明治の頃に大阪湾で良く獲れたコノシロ(コハダの成魚)を酢で締めて寿司にしたものがバッテラだったが、同じ青魚でより安く手に入る鯖で代用するようになった。名前の由来は、コノシロの寿司の見た目が小舟(ポルトガル語でバッテイラ)に似ていることから来ている。
バッテラには甘酢に漬けた白板昆布を使う。白板昆布とはおぼろ昆布を削る際に残る薄い昆布で、乾燥を防ぎ、風味もあって見た目も良いため、使われたと言われている。
鯖のうま味を存分に味わいたい人には肉厚な鯖寿司を薦めたいが、鯖がちょっと苦手な人にはバッテラのほうが食べやすいかもしれない。
 

焼き鯖寿司

しめ鯖の代わりに焼き鯖を酢飯に載せた若狭小浜の名物。焼き鯖はしめ鯖に比べて鯖の持っている生臭さがなく、魚が苦手な人でも食べやすい。
肉厚で香ばしい鯖は食べ応え満点で、混ぜる具材や薬味は店によって様々な違いがある。
 

松前寿司

鯖半身を使って作られ、黒い昆布が巻いてあるボリューミーな巻き寿司である。
小浜、敦賀は江戸時代から昆布流通の重要拠点であり、大量の昆布を積載した北海道の松前の船「松前船」が盛んに寄港していた。
 
 
鯖寿司の画像

福井県若狭小浜の郷土料理「へしこ」

魚の漬物である「へしこ」は、福井県若狭地方の昔からの郷土料理であり保存食。青魚に塩を振り、塩漬けにした後、更に糠漬けにして1~2年もの間熟成させる。漬ける魚は家庭により様々だが、やはり鯖の「へしこ」が若狭小浜の名産品である。
 
江戸時代頃からあったとされていて、魚を漬け込むことを「圧(へ)しこむ」といったとことから「へしこ」に略されたようだ。
「へしこ」に付着した米糠を軽く落とせば、そのまま酒のツマミになる。また、焼いた「へしこ」を細かくほぐしてご飯にかけても美味しく、塩味がしっかりしているのでお茶漬けにも合う。

小浜の鯖はどこ産?

2000年代中頃だったと思うが、小浜に墓参で訪れた時、土産の焼き鯖を買う際に商店の店主と話す機会があった。

店主が言うには、
「今は若狭湾では大鯖はほとんど取れない。ここで焼いている鯖の大半はノルウェーからの大西洋鯖だ。焼き鯖は大きくて脂が乗っているものでないと美味くない!脂の乗った大きい鯖を強い火力で焼いてこそ美味しく食べられる。」
 
若狭湾では多種多様な魚が取れるが、今日の漁獲高は決して大きくはない。そんな昨今、若狭小浜の鯖を復活させようと鯖の養殖に取り組んでいると聞く。是非、若狭湾で採れる鯖が増えることを願うばかりである。

小浜の菩提寺と料理旅館の記憶

妙徳寺の画像
 
中学2年の夏、両親と共に私は初めて我が家の菩提寺である「妙徳寺」という曹洞宗永平寺派のお寺を訪ね、墓参りをした。

山一つがそのまま寺領になっているようなお寺で、山麓から急な砂利道を登って行くと、途中に古い山門があり、その脇には「不許葷酒入山門(くんしゅさんもんにいるをゆるさず)」と石に刻まれた戒壇石があった。室町時代に建てられたものだそうだ。(その後、残念ながらこの山門は台風で倒壊してしまい、今は見ることができない)

山門をくぐって参道を登って行くと、左側には側溝が穿たれ綺麗な水が心地良い音と共に流れている。両脇には幹が一抱えもありそうな杉が天をつくように真っ直ぐ伸び、木々の間の地面には絨毯を敷き詰めたように深緑の苔がのびのびと広がっている。一段高くなったところに小さな竹藪が見え、その竹藪越しに瓦屋根と思しきものが見え隠れし、犬の吠え声が聞こえてくる。

方丈様(禅宗の住職)のお話では、熊が冬眠前に寺内の柿の木の前に立って柿の実を食べ、冬眠に備えるとか。なんとも歴史風情が濃く漂うこのお寺では、訪れるたびに中世にタイムスリップしたような感覚を楽しんでいる。

この初めての小浜訪問の時、小浜からほど近い三方五湖の食堂兼旅館に投宿した。60年が経った今でもよく覚えているが、この宿での食事はとても美味しく、しかも食べ切れないくらいの量だった。メインデッシュの後に鰻の蒲焼きが出され、デザートにスイカ1個が丸ごと出された。
この素晴らしい食事体験の記憶は未だに色褪せず、私は福井県の若狭小浜は食の宝庫だとずっと思っている。
 
妙徳寺の山門の画像

まとめ ~若狭産の大鯖の今後に期待~

人間のカラダに例えるなら、「へそ」のように日本列島の中央に位置する若狭について考えると、次々に疑問が湧いてくる。

「ワカサ」と言う地名は、一説には古い朝鮮語の「行き来」という言葉から来たとも言われており、若狭は古来より大陸との往来が盛んな、北九州地方と並ぶ日本の玄関口であったのかもしれない。実際はどうなのだろうか?
そうだとして、大陸からやって来た渡来人がこの地に定住せず、南の京都や奈良に移住したのは何故だろう?

「京は遠ても十八里」と言われるほど京都に近かった若狭小浜が、その後、江戸時代の北前船が盛んになるまであまり歴史上に登場して来なかったのはどうしてか?
都に近く、海の幸に恵まれたこの地方がそれ程発展しなかったのは何故?

明治時代以降、朝鮮半島との行き来で窓口になる港はやはり若狭湾の西に位置する舞鶴だが、それほど大きな町には発展していない。太平洋側の横浜や名古屋、瀬戸内海の大阪や神戸などに比べて日本海側の港で大きい町と言えるのは北九州ぐらいしかない。何故なのか?

日本海側の港がそれ程大きな町にならなかった理由は気候にあるのだろう。11月後半頃から3月前半頃までの約4か月間、日本列島の日本海側はほとんど雪に覆われ厳しい寒さを人々に強いる。寒くてジメジメした気候は経済活動を停滞させる。地理的には大陸や京都に近くても、沢山の人が住み生活するには自然環境が厳し過ぎたのだ。

そんな中、近海で取れる海産物やその加工品を、大消費地である京都に供給するのは理にかなった経済活動であったと思う。そして、今でも多様な海産物は若狭小浜の魅力ではあることに変わりはない。

一方、主役である鯖については、若狭湾の鯖が人々の口に入る機会は大きく減った。それでも受け継がれてきた歴史・文化は色濃く、鯖は若狭小浜の名産品の筆頭であり続けている。
近年では鯖の養殖が取り組まれ、IoTを活用しての効率化も図られているそうで、地元である若狭産の大鯖が大々的に復活することが楽しみである。

この記事を書いた人

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青井 三郎
食いしん坊侍のスタッフ青井三郎。
戦後、奈良に生まれて大阪で育つ。6人兄弟の末っ子だったせいか、幼少の頃から食べることへの執着が強い食いしん坊だった。
野球少年だったが読書好きでもあり、日本や世界の文化や歴史に強い興味を持つ。大学時代には世界に触れたい欲求が高じ、1ドル360円の時代ではあったが、ヨーロッパ、南米、アフリカを3か月ほど巡る旅をした。結婚し東京で4人の子供を育て終えると、アメリカ西海岸のポートランドに10年間住む。
現在は、美しい海と温暖な気候に惹かれて沖縄に移り住み、気儘に読書や釣りやゴルフを楽しんでいる。

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