日本国内はある程度訪れてきましたが、投宿したことがないのは秋田・山形・富山・岡山・福岡・佐賀そして四国の香川・高知・徳島の9県でした。
2023年の秋に、松山・高知・徳島で各々一泊という旅程で妻と四国を旅しました。
愛媛県
松山城〜食旅のスタートは歴史散策から
松山での天気は秋晴れで、暑くもなく、寒くもないと言う絶好の行楽日和。市内の宿に荷物を置き、徒歩で松山城に行きました。
お城は小高い山の上にあり、下から4〜5分ロープウェイに乗って行きます。あいにく着いたのが閉門時間の5時に近かったので天守閣には上がれなかったものの、石垣の上から辺りを眺めるとよく晴れていて、松山市内や遠く瀬戸内海を一望できて大満足。
帰る時、石垣の一部にNHKで放送された司馬遼太郎の「坂の上の雲」のロケ場所であることを示す看板がありました。劇中で秋山真之や正岡子規が城で花火を打ち上げているシーンがあったことを思い出しました。
愛媛県松山の居酒屋
城山を降りてブラブラ歩いていると、遠くで賑やかで威勢の良い声が聞こえてきました。音のする方へ近寄っていくと、お揃いのハッピとねじり鉢巻をした大勢の若衆が大通りの真ん中で神輿を上げ下げしていて、ちょっと耳を澄ますと別の方角からも同じような掛け声が聞こえてきます。あー、これはここの秋祭りなのだと、ここ数年神輿担ぎを見ていなかったのでやけに興奮しました。
ふと我に返り、旅行初日の夕飯を何にするか妻と相談。松山なので「鯛めし」か「鰻」か、2-3軒それらしき店を覗くがなかなか決まらず、そのうちだんだん宿泊するホテルに近づいてきました。ホテルのすぐ前に格好の居酒屋があり、お腹も空いてきて引き寄せられてしまいましたが、店内を見ると九州発祥の店です。わざわざ松山まで来て九州の居酒屋に入ることもなかったかと思いつつ、威勢の良い声に引き戻すこともできず、下足箱に靴を入れ、案内された小部屋に入りました。
愛媛名物「じゃこ天」
メニューを見るとやはり九州のものが多く載っている。ご当地グルメを探した中で見つけたのが「じゃこ天」でした。
じゃこ天は愛媛県南部の海岸部の特産品です。近海で獲れた地魚のすり身を油で揚げた揚げ蒲鉾の一種。多種類の魚(雑魚)で作られるため「ざこ天」と名付けられてそれが変化して「じゃこ天」になったという説や、原料のハランボ(ほたるじゃこ)に由来して「じゃこ天」と呼ばれるようになったという説もあります。伊達政宗の長男で宇和島藩初代藩主伊達秀宗が仙台から蒲鉾職人を呼び寄せて作らせたのがはじまりと言われているのは興味深いです。
そのまま食べても美味しいですが、軽く焼いて大根おろしや生姜を乗せてもオツな味がします。また、うどんやおでんの具としても使われます。肉の代わりに「じゃこ天」を使ったカレーや、パン粉をつけて油で揚げた「じゃこ天カツ」も地元の家庭料理として親しまれているそうです。
宿に戻り、3月に北海道の定山渓温泉に行って以来の温泉にゆっくり浸かり、旅の初日を楽しみました。
「坂の上の雲」秋山兄弟の生家
松山の温泉宿で迎えた朝は快晴で少し汗ばむほどでした。高知行きのハイウェイバスに乗るまで少し時間があったので、バス停近くにある「秋山好古・真之」兄弟(「坂の上の雲」の主人公)の生家を見学に訪れてみました。
生家は城山に近いので士族の家ではあるがそれほど広い敷地ではないので、決して上級で裕福な武士の出ではないと勝手ながら推察しました。時の殿様からフランスの陸軍騎兵学校に留学させてもらえるほどなので好古は余程の秀才だったのでしょう。「坂の上の雲」の場面が思い出されて、遠い明治時代に思いを馳せながら見学させていただきました。
高知県
坂本龍馬記念館〜ここから高知
松山から高知へは高速バスで向かいました。四国は山が東西に幾重にも連なっている地形であるため、山の中腹に沿って走ると、ところどころ瀬戸内海が臨めたり、街が見えたりして飽きません。途中から深い山に入りトンネルまたトンネルの繰り返しで、このトンネルは四国山地の中を通ってるんだなぁと実感しました。出発から2時間半位で高知に到着しました。
高知駅付近のホテルで荷物を預け、バス1日周遊券を購入し、桂浜行きのバスに乗り、終点の一つ手前にある「県立坂本龍馬記念館前」で下車しました。この記念館は1991年の11月15日にオープンしました。11月15日は龍馬の誕生日です。中は少し薄暗く落ち着いた感じで、若くして故郷を出た龍馬のその後を映像や音声を効果的に用いた体験型展示でとても面白かったです。とりわけ、中濱万次郎(ジョン万次郎)が船で遭難し、アメリカの捕鯨船に助けられアメリカに渡り、彼の地で教育を受け当時国内では経験出来ないような知見を得て帰国したことに、龍馬が大いに影響を受けたことを知りとても興味を覚えました。
ちなみに、沖縄の南部にはジョン万ビーチというビーチがあり、アメリカから日本に戻ってきたジョン万次郎が上陸したことが由来となったそうです。高知に来て、私が住んだことのあるアメリカ、沖縄に繋がりを感じることとなりました。
桂浜
坂本龍馬記念館を出た後、桂浜までの坂道を歩いて下りました。桂浜公園内には、かの有名な「坂本龍馬像」があるので写真を撮りました。像が思いのほか、見上げるほどに大きいのには驚きました。若き日の龍馬が遠い海の向こうを見据えている感じがして胸が熱くなりました。
桂浜は古くから月の名所として知られ、あの有名な「よさこい節」にも “土佐の高知のはりまや橋で 坊さんかんざし買うを見た〜月の名所は桂浜〜西に竜串 東に室戸 中の名所が桂浜 ハアーヨサコイヨサコイ” と歌われています。東の竜頭岬から西の竜王岬の間にある弓形をしている海岸は、松の緑と紺碧の海が調和し、見る人をうならせます。夏でも太平洋からの波が荒いため遊泳禁止になっていて残念な気もしますが、海水浴場ではないからこその趣があるように思え、開放感を味わえます。また記念館の裏には、戦国時代に四国統一の中心となった長宗我部元親の居城「浦戸城」の跡地があります。
桂浜で食べた貝だしラーメン
桂浜海のテラスは新しく作られたこぢんまりとしたモールで、その中の海鮮ラーメン店に入りました。ラーメンの麺は細麺で、魚貝だしのスープは透き通っていて油脂が全く入っていない様子。具は活きた貝でヒオウギ貝などが丼の中一杯に入っています。ヒオウギ貝は高知県でもよく獲れ、県内では「長太郎貝」とも呼ばれています。アッサリ味ですが、貝や鰹のうま味が効いていて予想通り美味しく、あっという間に平らげてしまいました。ラーメンをそれほど喜ばない妻も大いに満足していました。
高知「ひろめ市場」
桂浜から高知市内に戻り、「ひろめ市場」に向かいました。三連休のせいか「ひろめ市場」の中は地元の人か観光客かはよく分からないが、人人人で大混雑です。市場の中は沢山のお店がランダムに入っていて、どこもかしこも超満員。店は魚料理・肉料理・中華料理など色々あり、自分の食べたいものを注文して、その場でお金を払って、飲み物や酒の肴を持って、空いた席に座って食べるフードコート方式のようです。日本酒やビールなどお酒を飲む方が多く、流石「酒国・土佐」と言われるだけあります。
我々は市場内全部をひと回りして賑やかで活気に満ちた空間の雰囲気のみを味わい、外に出て「はりまや橋」方面に向かってゆっくりと「ひろめ市場」を後にしました。
この辺りは恐らく高知市内の一番の繁華街なのでしょう、沢山の飲食店が並んでいます。途中、一軒「寿司、魚料理」と書かれた看板が目に付き、中に入ると、入口に寿司カウンターがあり、奥に行くと広い居酒屋になっていました。魚がメインの居酒屋のため、アレコレ美味しそうなものをいくつか注文しました。寿司もやっているだけあって、魚はどれも新鮮で鰻も美味しく頂きました。
高知の名産、海産物
高知県の名物と呼べる海産物は豊富に挙げることができます。カツオ(藁焼き、たたき)・ うつぼ(たたき×二杯酢)・金目鯛(室戸産が有名、塩焼き、煮つけ、丼などで)・ごま鯖(一般のごま鯖は刺身に不向きだが、土佐清水産のごま鯖は一匹ずつ釣り上げる立縄漁により鮮度が高く保たれ、刺身やタタキで食べられる)・うなぎ・しらす・沖うるめ(別名メギス、沖キス)・きびなご・あゆなどでしょうか。
他にはメジカの新子があります。ソウダカツオの稚魚のことを指し、消費期限が非常に短く、釣り上げてから半日から1日を過ぎたら食べられず、“幻の魚”とも言われます。高知の中西部に位置する中土佐町や須崎市などで主に親しまれてきたもので、流通する時期は8月〜9月中旬です。ぶしゅかん(仏手柑)を絞ってふりかけ、酸味と新子のもちもち食感は絶品だそうです。
カツオのタタキや四万十川・仁淀川のウナギやあゆが美味しいのは全国的に知られていますが、それ以外についてはそこまで知られていないかもしれません。四万十川のゴリなども隠れた特産品でしょう。因みに高知県民の飲酒にかける費用は全国第一位とのこと(年によって変化しますが)、これらの魚と共にお酒も楽しめるのでしょう。
徳島県
徳島の蓮根(れんこん)〜ここから徳島
高知から徳島へも高速バスで向かいました。徳島へ近づくと水を張った池のようなものがあちこちに見えるので何かと思ったら蓮根の畑でした。徳島県が茨城県に次ぐ蓮根産地だと初めて知りました。
徳島の蓮根は他にはない独特なしっかりとした歯応えがあると言われています。粘土質の粘りのある硬い土が蓮根に圧力をかけ、蓮根を強く引き締めるそうです。
四国八十八ヶ所霊場の一番札所 霊山寺(りょうぜんじ)
徳島では、まず四国八十八ヶ所霊場の霊山寺に参詣しました。霊山寺は四国八十八ヶ所霊場の一番札所です。仁王門をくぐりお釈迦様を祀ってある本堂や右手の弘法大師をお祀りしてある大師堂には凛とした空気が漂っています。四国八十八ヶ所お遍路道は、ご存知の通り真言宗の開祖弘法大師が42歳の時、仏道修行の道場として札所にしたものが始まりとされる。すべての寺を巡ると八十八の煩悩が除かれ、八十八のご利益、功徳が得られると言われています。
この寺を出発地点として八十八ヶ所霊場を巡る巡礼者たちはどの様な覚悟と思いで手を合わせ、旅立つのでしょう?バスの中で隣に座った60代位の男性は金剛杖・遍路笠・小さいバックパックにランニングパンツという軽装で、全て自分の足で巡り、今回が2度目のお遍路とのことでした。
徳島市の海鮮居酒屋
霊山寺を後にし、徳島駅前の商店街を歩いて夕食を食べるお店を探しました。何軒か料理店や居酒屋に入ろうしましたが、三連休の初日でどの店でも「予約でいっぱいです」と言われ、店探しに苦戦しました。旅行前に下調べをしてちゃんと予約しておけば良かったと後悔するのも後の祭り、空腹に耐えながら探すうちに「徳島海鮮丼」と大きく書かれた看板と赤提灯が煌々と輝く一軒になんとか入ることができました。
取り敢えずビールをジョッキで頼み、酒の肴を検討します。メニューは徳島らしいものがいっぱいでした。ハモの湯引き造り、ぼうぜ(イボダイ)酢締め造り、よこ(クロマグロの幼魚)のお造り、鯛の出汁茶漬け、穴子天ぷら、ハモ天ぷら、それにレンコンの薄揚げと、一気に注文。これが後で考えると大正解!この店も大入りで、注文しても料理がすぐには出てこなかったのです。
混んでいるために注文した料理が出てくるのに時間がかかっていたが、出された料理を食べてみると実に美味しい!ビールや酒は待たないため、飲むペースがかなり上がった夕飯でした。
徳島名産
徳島名産を挙げると、鳴門金時(サツマイモ)・白身魚で出来たちくわ(名産のすだちを搾るとさらに美味)・手延半田そうめん・すだち・鳴門鯛(渦潮などの激しい潮の流れに鍛えられたプリップリの引き締まった身が特徴)があります。
また、ソウルフードと言っても良い徳島の地に根ざしたものとして、フィッシュカツがあります。近海で獲れたタチウオやエソなどの白身魚のすり身にカレー粉や唐辛子・調味料を加えパン粉をまぶして揚げたものです。
徳島伝統の阿波藍
徳島に泊まった翌日は渦潮見学をしました。出発を待つ間、港が見渡せる2階のベンチに座りました。観光船は次々に発着を繰り返し、その度に観光客がどっと桟橋に吐き出され、また船に吸い込まれていく。その景色をゆったりと眺めていると、近くを散策していた妻が美しい藍染のシルクのスカーフを買ってきて嬉しそうに見せてくれました。なかなか似合っていると思いました。
阿波藍とは徳島県で行われる藍染で、16世紀後半の戦国時代に藍染が始まりました。江戸時代には当時の徳島藩で保護奨励策によって隆盛し、日本の藍染市場を席巻しますが、明治後期頃には安価なインド藍や合成染料の出現によって阿波藍は衰退していきました。しかし、昨今は天然の藍染の良さが広く知られるようになり、阿波特産の工芸品としてその地位を確立しつつあるのは嬉しいことです。
鳴門の渦潮
13時30分、いよいよ乗船。パラパラと小雨が降ってきましたが、乗船客に続いて船内に入りました。
船の側面には透明の強化アクリル板が備え付けられ、海中が見えるようになっています。よく見ると、海中のところどころで漏斗状に渦が巻いているのが見えました。船内から外へ出ると、四国と淡路島を繋ぐ大きな橋が見上げるように視界に入ってきます。船が速度を落とし大きく旋回し始めると、船上のあちこちで歓声が聞こえ、その目線の先には波が激しくぶつかり合って渦が巻いているのが見えました。それも1箇所ではなく、あちこちで大小の渦が出来ては消え、消えては出来ていました。渦の大きさは、小さいもので2〜3m、大きなものだと7〜8mありそうでした。
渦潮は、潮の流れが逆方向から来た潮の流れとぶつかり合い、海の中で海水が渦を巻く現象ですが、一種の竜巻のようなものだと感じました。水中の渦を見ていると、昔、米国オレゴンのクレーターレイクで見た小さな砂竜巻を想いだしました。
中心の渦は白く細長い気泡を水面から底の方に伸ばし、ユラユラ揺れながら気儘に動き、そしていきなり何も無かったように消えてしまいました。水中では魚らしきものは全く見ることはできませんでした。観光写真を見て想像していたほどの豪快な渦ではありませんでしたが、それでも、一生に一度は見たいと思っていた鳴門の渦潮が見られたので、十分満足して四国の地を後にすることができました。
まとめ
四国は4県それぞれに風土的な特色があります。愛媛(伊予)と香川(讃岐)は瀬戸内気候で穏やかで生活し易く、昔から瀬戸内海の交通網に組み込まれていましたが、高知(土佐)や徳島(阿波)は近くて遠い地でした。東西に峻厳な山脈が屏風のように連なり、南北の交通を難しくしていたためです。
今では四国連絡橋の竣工に伴い四国4県を結ぶ高速道路網も整備され、昔に比べて往来のし易さは格段に向上しました。おかげさまで、3泊4日の短い旅であってもそれぞれの土地を見聞し、食などを通じてそれぞれの特色ある風土を味わうことができました。
この記事を書いた人

- 青井 三郎
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食いしん坊侍のスタッフ青井三郎。
戦後、奈良に生まれて大阪で育つ。6人兄弟の末っ子だったせいか、幼少の頃から食べることへの執着が強い食いしん坊だった。
野球少年だったが読書好きでもあり、日本や世界の文化や歴史に強い興味を持つ。大学時代には世界に触れたい欲求が高じ、1ドル360円の時代ではあったが、ヨーロッパ、南米、アフリカを3か月ほど巡る旅をした。結婚し東京で4人の子供を育て終えると、アメリカ西海岸のポートランドに10年間、美しい海と温暖な気候に惹かれて沖縄に3年間住む。
現在は、美食を求めて北海道へ移住。札幌を中心に食べ歩きを楽しんでいる。
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