筆者の祖父母の家は長野にあります。雪が降り始める時期である11月に帰省したときの話です。
立ち寄った道の駅の入り口に、見覚えのない野菜が束になってうず高く積み上げられていました。大きな白菜の芯のような茎で、葉の形状は高菜やカブに似ています。
地元の方々が朝早くから車で乗り付け、1束3kgはありそうなそれを、多い人は7〜8束、少なくとも2〜3束を荷台にせっせと載せていきます。私はその光景を目を丸くして見ていましたが、「あれは野沢菜だよ」と教えてもらった時に、長野県民の野沢菜愛に深く合点がいったのでした。
今回は長野で古くから受け継がれてきた手仕事である「野沢菜漬」を紹介します。
大量1年分を一気に仕込む長野の野沢菜漬
長野県では、朝昼晩のご飯のお供、お酒のアテとしてはもちろん、10時や15時のおやつ時間にも野沢菜漬が出されます。筆者の祖父母は農家でしたので、作業の合間の休憩時によく食べていたそうです。長野名物「おやき」でも、人気の具は野沢菜です。
このように長野県で大変愛されている野沢菜の収穫時期は11月頃です。多くの家庭では、雪が降り始めて畑仕事が休みになる前に、一気に1年分の野沢菜漬を仕込みます。長野県は南北に長いので、南の方であれば収穫は少し先になりそうですが、私が訪れたのは北アルプスに隣接する北部でしたので11〜12月に野沢菜漬を仕込みます。
農林水産省のホームページに記載の伝統的な野沢菜漬の作り方を見て驚いたのですが、材料「野沢菜40kg(1樽分)」とあります。みなさん樽をお持ちで、樽で漬けるのですね!
そして結びついたのが、冒頭に紹介しました、道の駅で山積みにされていた野沢菜の光景です。長野県における野沢菜消費量の多さを推し量ることができます。
長野でポピュラーな野沢菜漬の色とは
みなさんはスーパーや売店で売られている野沢菜漬を見たことはありますか?
着色料の有無にも因りますが、鮮やかな緑色のものを見た人が多いかもしれません。しかしながら、長野の家庭や飲食店では、べっこう色(黄褐色)をした野沢菜がよく登場します。
しっかりと長い間漬けると、乳酸発酵が進み色は深くなっていきます。そして、同時に味わい深さと奥行きのある旨味が出てきます。
一方、浅く漬けるとフレッシュな緑色が残りやすくなります。浅漬けは野菜の風味をダイレクトに味わえてこれもまたオツですが、先述の通り1年分を一気に漬ける家庭が多いため、長野県民に馴染みがあるのは、べっこう色の野沢菜の方のようです。
「野沢菜漬」の起源
諸説ありますが、有名な野沢菜漬の起源をご紹介します。
18世紀中頃、長野県北東の野沢温泉村にあるお寺の住職が、京都や大阪で名産の天王寺蕪(てんのうじかぶら)の種を持ち帰り、地元で育てたそうです。しかし関西と長野では気候や地理的条件があまりにも違っていたため、蕪(かぶ)の実の部分があまり育たず、葉ばかりが大きくなってしまったそうです。それでも葉を食べられるということで漬物に活用されました。
この野沢温泉は古くから湯治(温泉治療)を目的とする旅行者が、また大正時代以降はスキー客が多く訪れる場所でした。その旅行者の間でこの独特な漬物の味が話題となり、地名を冠して「野沢菜」として広く親しまれるようになったとのことです。
筆者の祖母は大正生まれでしたが、この野沢菜漬けのことをいつも「お葉漬」(おはづけ)と呼んでいました。野沢菜という名前で広まる前まで約200年間、地域によって様々な名称で呼ばれていたそうです。
「なぜ祖母はお葉漬と呼ぶのだろう」と不思議に思っていましたが、改めて野沢菜漬について調べてみることで筆者もやっと納得がいきました。そして、きっと私の先祖は代々「お葉漬」と呼んでいたのだなと想いを馳せました。
基本的な野沢菜漬の作り方
作り方はとてもシンプルで、基本の材料は野沢菜と塩です。
【手順】
(2) 野沢菜の重量に対し3%程度の塩を用意します。まずは容器の底部分に塩をひとつかみ敷き、野沢菜を入れ、塩をまんべんなくまぶすように重ねてゆきます。
(3) しっかりと水分を出すために、重めの石を乗せます。
(4) 水が上がってきたら、今度は水分を出しすぎないように、軽めの石に変えて漬け込みます。
(5) 早漬けであれば2週間、本漬けであれば1ヶ月以降食べることができます。
早漬けはフレッシュな素材の味を楽しめます。
本漬けは乳酸発酵が進み、味わいに奥行きがでます。
時間経過によって味わいの変化を楽しむことができます。
伝統的な樽による漬け込み方ですと、カビ防止のために消毒用の焼酎を樽の縁からたっぷりと流し込みます。塩の量については野沢菜の重さに対して3%程度で、葉野菜の漬物としては一般的な塩加減だと思います。
しかし私の記憶ですと、祖母が野沢菜漬を食卓に出す前には、必ず一晩水出しして強すぎる塩味を抜いていたように思います。焼酎を使わずに、塩を強くすることで、カビ対策をしていたのかもしれません。
手作り野沢菜漬の滋味豊かな味
市販の野沢菜は品質が安定していて十分美味しいですが、家庭で漬ける野沢菜には自然に委ねたからこそ得られる魅力があります。
長野の家庭で漬ける野沢菜は、当然ですが基本的に化学調味料や着色料は使いません。たとえ色が鮮やかでなくても気にしません。
寒さで凍った樽に長期間漬けることによって、野沢菜の繊維質が破壊され柔らかくなり、また野沢菜自身が凍るのを防ぐために糖を出し、甘みがでて美味しくなります。自然の作用が加わった、優しく力強い大地の味として身体を喜ばせてくれるように感じます。
野沢菜漬の味付けに活かされる知恵
道の駅で売られている野沢菜のすぐとなりに、鷹の爪と見覚えのない乾燥した果物の皮のようなものが置かれていました。
その時、数日前に祖父母宅のご近所さんからいただいた自家製の野沢菜漬を食した際に、「なるほど、これはシンプルに乳酸発酵が強めの漬け方だね。柿の皮を入れるともっと甘いよ。」と母が言っていたことを思い出しました。つまり、謎の果物の皮は、柿の皮だったのです。
鷹の爪を入れたり、柿の皮や醤油を入れたり、家庭によってちょっとした味の変化があります。野沢菜には植物性の乳酸菌が含まれており、ただ塩で漬けるだけでもその乳酸菌によって乳酸発酵が進みます。そうして味の奥行きや旨味が増すのですが、同時に生まれる酸味を抑えたいという人は、柿の皮を入れるそうです。
思えば、ちょうど野沢菜を漬ける11月下旬は、柿の収穫時期が終わろうとする時期。霜が降りるほどの寒さが甘みを増やしてくれる、干し柿の仕込みが終わった頃です。干し柿は皮を剥いて吊るすので、皮だけが大量に余ります。捨てればゴミになるものを、食べ物の味付けに活かす素晴らしい知恵ですね。
おわりに~祖母の背中から~
「冬はおかずが採れないから、秋に塩漬けにした野菜をちょっとずつ食べるんだよ。」とお百姓だった祖母がよく言っていました。
今の時代、旬や地理的条件を越えて様々な食材が手に入り易くなりました。その便利さはありがたいことですが、その便利さに私ほどには触れていなかった祖母の、食材やその背景にある自然に敬意を払う姿勢に、一種の憧れのようなものを感じてきました。
野沢菜漬などの漬物をはじめ、醤油、味噌、梅干し等、昔は手作りであることが当たり前でした。一般家庭でも、季節感や自然の力を今よりも直接的に感じる機会が多かったのだと思います。
今回、祖母との思い出が多い長野名物「野沢菜漬」を考えるなかで、改めて自然の恵みである食材にじっくりと向き合う「手仕事」に興味を強くしました。
この記事を書いた人
- スタッフちあき
-
食いしん坊侍のスタッフちあき。
無添加食品を積極的に料理に取り入れており、簡単に使える食いしん坊侍商品のヘビーユーザーでもある。
時短料理が好きな一方、古くから伝わる日本の手仕事や料理も尊敬。
ルーツは長野で、趣味は登山、外食で出会った料理の自宅再現、猫との昼寝。
最近の投稿
- 列島美味紀行2023年3月30日長野の手仕事「野沢菜漬」