札幌の丘珠空港(おかだま)から乗ったプロペラ機が、上がったと思ったら洞爺湖(とうやこ)の真上を通り過ぎ、内浦湾(噴火湾)を突っ切り、函館市の上空に差しかかり着陸態勢に入りました。「はるばる来たぜ函館…」という演歌の一節を思いだしましたが、飛行機に乗ってしまえば札幌からはあっという間です。
妻と2人で早朝の7時過ぎの便に乗り、8時頃に函館空港に降り立ちました。4月下旬に行った2泊3日の旅の主目的は五稜郭の桜と函館の食です。
国内外から人が訪れる「五稜郭」

函館空港からタクシーで湯の川温泉に向かい、ホテルに手荷物を預け、さっそく五稜郭に向かいました。運転手さんによると午後になると五稜郭は混むとのことです。
目的地に近づくと、桜の街路樹が道の両側に植えられて、桜のアーケードになっています。妻は感嘆の声を上げて喜んでいます。車窓から五稜郭タワーが見えてくるころには、歩道に人が溢れ出しました。さすが桜で名高い観光地だと思って眺めていると、運転手さんが「いつもはこんなに多くないんですよ。昨日から今日にかけて2隻の大型観光船が函館港に入ったから、その人達が観光バスでドッとやってきたのでしょう」と、言っていました。
降車場所でタクシーを降りて、五稜郭タワーのエレベーター乗り場に向かいましたが、日本語、英語、それにドイツ語、中国語などの言語を使う人々の流れが一様にタワーのエレベーター乗り場に向かっています。エレベーターに乗るどころかチケット売り場に辿り着くのも容易ではないほどの混雑具合です。
革新的だった防御施設「五稜郭」

一旦私たちは五稜郭タワーに上がるのを諦め、敷地内を歩いて桜を観賞することにしました。
五稜郭は蘭学者の武田斐三郎が、幕府の命により蝦夷地防衛のため1864年に建設したものです。黒船来航(1853年)からわずかに10年しか経っていません。西洋の城郭を実地見聞することなく、書物だけで学び、作り上げた驚くべきものです。日本の土木技術の優秀さは昨今世界に知られていますが、当時の土木技術もこの城郭を見れば優れたものだとよく分かります。
それまでの日本にあった城とは大きく異なり、高い石垣ではなく厚い土塁が築かれました。土塁は砲弾の衝撃を吸収しやすく、石垣のように崩れにくく修復しやすいメリットをもたらします。また、星形の形状で死角をなくしています。突起した堡塁から隣の城壁の前面を横から射撃できるというわけです。
実戦ではどうだったのかというと、箱館戦争で旧幕府軍の拠点となりました。
対する新政府軍は正面から突撃して攻略したのではなく、周辺を制圧して補給路を断ち、砲撃を加えつつ圧倒的な兵力で包囲する戦術を取りました。結果として、五稜郭は防御施設として突破されて陥落したというより、約1カ月の包囲によって持ちこたえられなくなり、降伏しました。
桜の名所として名高い「五稜郭」

もちろん建設当初は桜など植えられてはおらず大正時代から植えられたものです。今では1500本程のソメイヨシノが季節到来と共に一斉に咲き乱れ、北海道の桜の名所の代表格の1つになっています。
事前に北海道の桜の開花時期を当てるのは結構難しく、今回の旅をする日にちを決めるのも妻とあーでもないこーでもないと散々悩んで決めましたが、行く数日前まで心配し続けました。そしていざ現地に来ると全くドンピシャの満開の晴天でした。
城郭の真ん中付近にある「箱館奉行所」の建物を外からざっと眺め、芝生のある広場を突っ切って4〜5m高くなった堡塁の方に歩みを進めました。堡塁の上に3〜4m間隔に植えられた桜は一斉に満開で、一部は微風にハラハラと花びらを落とし始めています。
こんなに満開になっている沢山のソメイヨシノを楽しんだのは久しぶりで、思い起こせば生まれ故郷に近い吉野山以来かも知れません。アメリカ、ポートランドのウィラメット川沿いに植えられている桜も見事でしたが、ここまで多くはなかったです。
桜は水を湛えた(たたえた)お濠沿いに密集して植えられていて、所々に緑の赤松林があり、見事に調和していて立体感を感じました。
函館の市電

広場で一休みした後、五稜郭タワーのエレベーター乗り場まで戻ってきましたがその混み具合は来た時と変わらず、この日はタワーに上がるのを諦めることにしました。だいぶ歩き回ったからか空腹を覚えてきたため、早めの昼食を取ることにして五稜郭を出ました。
函館で人気ハンバーガーチェーン店「ラッキーピエロ」をはじめ、五稜郭の近くの飲食店は観光客で混雑しており、すぐに入るのは無理だと判断し市電の停留所近くまで歩くことにしました。11時頃にも関わらず、日曜日だからか入れる飲食店がうまく見つけられず、結局市電の五稜郭公園前駅近くのスターバックスで軽い昼食と休憩をすることにしました。
軽食とお茶をしながらぼんやりと外を眺めていると、市電の駅があるためか、このあたりは函館でも人通りが多いところのようで住民や観光客がひっきりなしに行き交っています。
函館の市電は、人口増大のほか、港湾機能の拡大に伴って発達してきた歴史を持ちます。函館港と市街地、住宅地を結ぶ重要な交通機関として利用されてきました。
当初は1897年(明治30年)に馬が客車を引く馬車鉄道として開業しました。1913年(大正2年)には電化され、本格的な路面電車になりました。
さらに、戦後には路線網が大きく広がり、市電は函館市内のほぼ全域を結ぶ交通機関となりました。しかし、その後は自家用車の普及やバス路線の充実に伴い利用者が減少し、一部路線は廃止され、現在では路線を集約しながら運行を続けています。
湯の川温泉発祥の地「湯倉神社」
朝乗ったタクシーの運転手さんのおすすめ観光スポットの一つに湯倉神社があったので、次はそこを目指すことにしました。市電で五稜郭公園駅から終点の湯の川駅まで行きます。
駅近くの高台に神社があり、入り口にこの神社の由来が書かれてありました。言い伝えでは、15世紀中頃に一人のきこりが腕の関節が痛くなった時に、この地のお湯に入ることで痛みを治したとのことです。感謝して薬師如来を刻み小さな祠を建てたことが、湯倉神社そして湯の川温泉の始まりと伝わります。
また17世紀半ばに、松前藩の藩主、松前高広が幼少の頃に重い病気になり、母親が夢枕でお告げを受け、湯治療養させたら完治したそうです。感謝した松前高広の母親は社殿を整え、砂金で造られた薬師如来像や鰐口(わにぐち:参拝者が垂れ下がっている綱を振って打ち鳴らす平たい鈴)を奉納しました。この鰐口は現在も神社の社宝として伝えられています。
温泉に浸かる函館市熱帯植物園の猿

湯倉神社を参拝し、住宅地の中をゆっくり歩いて次の目的地、函館市熱帯植物園に向かいました。到着したところで、この植物園で猿が温泉に浸かっているのをテレビで観たことを思い出しました。
植物園は割と閑散としていましたが、入ってすぐ左側に人だかりがあります。寄っていくと、サル山に何匹かの日本猿の姿が見え、山の下の谷にはもっと沢山の猿がいました。
谷底の右端に4m × 6〜7mの水の入っていない空のプールが見えます。12月から5月のゴールデンウィーク頃までそのプールには温泉が引かれ、猿たちは自由に入って温まることができるらしいのですが、この日は暖かい日和だからか湯が溜められていませんでした。
猿たちを見ると普通の猿もいますが、背中や腰の毛が抜け落ちた猿もいます。園内の説明では、毛の抜け落ちた猿は温泉好きで、温泉に長く入るために毛が抜けているそうです。病気ではないそうで、6月頃になるとちゃんと毛が生え揃います。猿にも個性があって温泉好きもいればそうでもないのもいるのが面白いですね。差し詰め私は毛の抜け落ちる組か…。
津軽海峡を望む湯の川温泉の露天風呂
熱帯植物園から今回の宿までは歩いてすぐです。3時過ぎにチェックインしました。
このホテルはロケーションが抜群で、部屋の正面は砂浜で津軽海峡が一望できます。この日は天気も良く本州の下北半島が見え、素晴らしい眺望に感動しました。眺望に感動するとともに、太古の昔から人や物品や文化がこの海峡を行き来していたことを想い、なにかパワーを感じました。
少し休んでホテル自慢の大浴場に行き、ゆっくり1時間入りました。露天風呂は海側に開放されていて、津軽海峡が目の前に広がり、風が心地よくいつまでも湯に浸かっていられます。湯に浸かり体が火照ると爽やかな海風に当たり、身体を冷やし今度はサウナに入る。2〜3回こんなことを繰り返し、すっかり心身ともにリフレッシュして部屋に戻りました。
大いに食べて大いに飲むビュッフェスタイル

食堂に降りていくともう既に大半の人が席に着いていて、空いている二人席はわずかでした。夕食は自由に選べるビュッフェ方式なのが有難いです。席を確保し、先ず生ビールと冷酒の利き酒セットを頼み、料理を取りに行きました。
刺身はマグロ、タコ、イカ、ハマチなどをいただき、茶碗蒸し、天ぷら、えびチリ、パスタ、牛ステーキなども平らげました。食材の新鮮さを感じ、多様な料理を飽きることなく楽しめて大満足です。食事中に赤ワインも追加で注文しました。
隣の席は2人連れでした。食べっぷり、飲みっぷりがよく、男性が甲斐甲斐しく女性の食べる料理を取りに行ったり、飲み物を注文したりしているのに気づいて、つい「ご主人、優しいですね!」と声をかけました。何でも、次の日が奥様の誕生日で、それでサービスが良いとのことでした。それから4人での会話を楽しみ、幸せな時間を過ごさせていただきました。
函館観光に便利な市電の一日乗車券
翌日朝、食堂で朝食を済ませ、チェックアウトぎりぎりにホテルを後にし、無風晴天の中を最寄の湯の川温泉駅に向かいます。この日は市電を何回も乗り降りする考えなので、市電の一日券を買いました。
湯の川温泉駅から松風町駅まで乗り、下車して旅2日目の宿泊ホテルに手荷物を預け、今度は松風駅からまた五稜郭公園駅まで行きます。
函館の市電は、観光地を繋いで運航されているため、旅行者にとって非常に便利な移動手段です。また、元町のあたりなど函館は坂が多く、体力的にも市電活用は有効といえるでしょう。さらには、市電の車窓から港町らしい風景や歴史情緒豊かな建物を間近に眺められるため、街並みを楽しむ乗り物でもあります。800円の一日乗車券は大変おすすめです。
五稜郭タワーからの桜

五稜郭タワーは昨日ほどの混雑状況ではないものの、タワーのエレベーター券売り場からエレベーターに乗るまでは長い列です。しかしこのタイミングを逃すともうタワーに上がるチャンスがないためその列に並びました。
エレベーターに乗るまで30分ほどかかり、やっと2日がかりでタワーの展望台に上ることができました。展望台は人でいっぱいでしたが、五稜郭がよく眺められるガラス窓近くに辿り着くことができました。
昨日歩いた堡塁をタワーから眺めると、一本一本近くで桜を眺めるのとまた違った美しさを感じ、星形の縁取りをした濠の両側にビッシリと咲き乱れる桜は圧巻でした。
海や函館の街を眺められる方角を見ると、函館山もくっきりと目視できます。張り出した窓から函館港や湾を見ながら、明治初頭の箱館戦争で、この要塞から旧幕府軍が海上の新政府軍の艦船に砲撃したという話を思い出しました。
堀ごしの花見BBQ

タワーの展望台は2階構造になっていて、人の流れに沿って歩くと自然と階段で下の階に降ります。一階の展望台には一部床が透明なところがあり、人々はその上に立って大騒ぎしています。その上に立つと遥か下に豆粒のように動く人や車が見えます。高所恐怖症の私には決して気持ちの良いものではないので、早々に場所を譲り先に進みました。
エレベーターで下に降り、地上2階にある売店でアイスクリームを買って、空いている席に座り休憩しました。窓の外に目をやれば、堀の外の桜の下で数組のグループがコンロを囲んで鍋をつついて酒盛をしています。コンロや鍋や燃料を食材込みで貸してくれるサービスがあると、昨日乗ったタクシーの運転手さんが言っていたのを思い出しました。
よく見ると普通の鍋ではなくジンギスカン鍋です。北海道ではジンギスカンを食べながらお花見する習慣が昭和30年代くらいからあるそうです。桜の下でのジンギスカンは北海道ならではのスタイルで、堀ごしに桜を愛でながらのBBQはなかなかの風情がありそうです。
函館元町に並び建つ2つの教会

我々夫婦は空腹ではなかったので、そのまま五稜郭を後にしました。市電に乗って十字街駅まで行き、歴史的建造物である元町カトリック教会と函館ハリストス正教会を見学しました。函館山のロープウェイに乗るつもりでいましたが、妻が五稜郭タワーに昇れたし、山の上は寒いかもしれないので行かなくて良いと言ったので中止にしました。
元町カトリック教会と函館ハリストス正教会は並ぶように建っており、1859年と1860年のほぼ同時に建てられていますが、それぞれ異なる歴史と魅力があります。
元町カトリック教会は、箱館開港後、フランス人宣教師によって建てられたカトリック教会です。現在の建物は1924年に再建されたもので、美しい祭壇やステンドグラスが特徴です。白い壁と高い尖塔が空へ伸びるようで、ヨーロッパの伝統的な教会らしい、荘厳で落ち着いた雰囲気がありました。
函館ハリストス正教会は、ロシア領事館付属の礼拝堂として建てられ、日本で最初の正教会の聖堂です。のちに日本に正教会を広める拠点となりました。函館大火後に焼失し、1916年に現在の建物として再建されました。
白い漆喰壁と緑青色の屋根、独特の十字架、丸みを帯びた屋根のデザインを持つロシア・ビザンティン様式の美しい外観が印象的でした。
本場函館の海鮮居酒屋での意外な出会い

市電の宝来町から松風町駅経由でホテルに戻りチェックインをしました。このホテルでは食事なしの素泊まりにしたので、4時頃ではありますが、外で食事をするためJR函館駅方面に歩き始めました。
松風町や駅周辺にはたくさんの飲食店があり、掲げている看板やメニューを見るとほとんどが鮮魚を専門にしている店です。我々のようにイカや魚を目当てに旅行している者にとっては有難いです。しかし、残念なことに大概の店が5時開店で、4時ごろ営業している店はほとんどありません。やっと一軒松風町駅近くにあるのを見つけて入りました。
まだ先客はいません。店の入り口に水槽があり、中でイカが泳いでいます。ここではきっと新鮮なイカを食せると思い生ビールとイカ刺しを先ず注文。壁に目をやると壁一面にお品書きが綺麗な字で書かれてあります。この日は昼食抜きで函館の市電を乗り継ぎながらたくさん歩いたので、妻も私も空腹で次々に注文しました。刺身の盛り合わせ、アジフライ、イカぽっぽ(イカのホイル焼き)、つぶ貝変わり焼き、海鮮焼きそば、などなど。
店の大将が水槽からアルミのボールに生きたイカを入れ、我々の前でそれを見せ、「今からコレを刺身にしますから」とのこと。ねじり鉢巻をした大将はネパール出身の方。すぐには気付かなかったが、確かに壁のメニューにネパールの焼酎やネパールのチャーハンなどが書かれています。なかなか面白そうなお店に入ったと思いました。
函館の絶品のイカ

イカ刺しは足がまだ動いています。目玉や墨袋そして内蔵も全部供され、まるでイカの解剖をしたように皿に盛られています。新鮮だから、生臭さは全くなく、身や足はコリコリして甘い。ネパール出身の大将の包丁さばきは見事です。
さすが函館のイカは美味!妻と二人、納得顔で箸が進みます。アジフライは大きく身が厚く、サクサクしていてこちらもイケます。冷酒を注文し、他の料理もどんどん食べます。
たらふく食べて、飲んで、満足して店を出ましたが外はまだ薄明るいです。本日泊まるホテルは天然温泉が売り物で、大浴場に入って1日の疲れを癒しました。
函館朝市のどんぶり横丁

3日目もいい天気でした。前日にだいぶ歩き回ったのでグッスリ寝てしまい、起きたのは9時ごろです。手荷物をホテルのフロントに預け、さあ何処に行こうか?
前日に近くのバス停で午後4時以降は30分置きぐらいに空港行きのバスが運行しているのを確認済みです。札幌への帰りの便が7時50分なので、余裕をみて、4時50分のバスに乗る事とし、最後の函館を楽しむことにしました。
最初にJR函館駅近くの朝市に行きました。鮮魚店や食堂が市場や広場を形づくり、あまりにも沢山の店で何処に入れば良いのか決めかねます。どんぶり横丁というところがあり、その中の1つの食堂に入りました。
私はウニいくら丼と生ビール、妻はカニ丼を注文しました。メニューを見直してカキフライも追加で頼みました。それぞれ運ばれてきて食べ始めると、店の人が「サービスです」と言って、エビフライを3匹も乗せた皿をテーブルに置いてくれました。
気前の良さに驚きつつ、贅沢な食事を味わいました。特にカキフライとサービスのエビフライが抜群に美味しく感じました。
物流を支えた摩周丸と赤レンガ倉庫

食後、函館港まで歩き、係留展示されている青函連絡船の摩周丸を近くで見て、赤レンガ倉庫を遠望しました。
摩周丸は摩周湖から採った名前です。摩周湖は函館港から直線距離で230㎞ほども離れていますが、青函連絡船は北海道と本州をつなぎ物流を支えていたため、北海道の名勝地を船名に採用する慣例があったそうです。
摩周丸の見た目は力強い印象で、昭和を感じさせるデザインがノスタルジーを感じさせます。
赤レンガ倉庫は1887年(明治20年)から営業倉庫として利用され、長い間、函館の物流を支えました。火事で焼失しましたが、1909年に再建され今にその姿を残しています。
明治時代のレンガ造りの倉庫が100年の時を超え、現在ではショッピングやレストランが集まる複合施設として生まれ変わりました。港に面したロケーションと石畳の道が美しく、異国情緒あふれる景観を楽しめます。
中世から蘇った大量の銭貨
妻が函館公園の桜を見たいと言うので、魚市場通駅から青柳町駅まで市電で行きました。函館公園の桜も満開で、平日にも関わらず結構な人出です。この公園には遊園地があり、そこから子供達の可愛らしい歓声も聞こえてきます。
公園の奥には市立函館博物館があります。中に入ると1階の奥に茶室、2〜3階には市内外から出土した土器、石器や土偶などの考古資料、そして箱館戦争や函館大火などの歴史資料が展示されています。アイヌ文化や動植物、化石、鉱物など北海道の自然史も充実しています。函館の歴史・自然・文化を一度に学べそうです。
見どころとして、日本最大級の出土銭貨である「北海道志海苔(しのり)中世遺構出土銭」があります。函館市の志海苔地区で中世の遺跡から37万枚もの銭貨が発見されたものです。
多くは中国(宋・明など)の銅銭で、日本との交易で北海道にもたらされたもので、15~16世紀頃に函館周辺がすでに本州や大陸との交易拠点だったことを示しています。
煌めく函館の夜景

見学を終え、市電の終点駅の谷地頭駅で市電に乗り函館駅で降り、駅ビルのカフェで休憩しました。時間を見計らって手荷物を預けたホテルに戻り、4時50分発のバスで空港に向かいました。一昨日泊まった湯の川温泉のホテルの前も通り過ぎました。
空港で出発までたっぷり時間があるため、お土産を買い、空港内の食堂で旅の締めとして函館ラーメンを食べました。札幌の味噌ラーメン、旭川の醤油ラーメン、そして函館は塩ラーメン。チャーシューの他、海藻、エビ、貝などの具にあっさりした塩味ベースのスープです。
離陸後、窓の外に目をやると眼下に函館の街の灯が宝石のように煌めいています。函館山へ上ることを諦めた妻でしたが、最後に思いがけず上空からの見事な夜景を眺めることができて歓声をあげていました。
2泊3日の函館の旅は「ノンビリ・ユッタリ」の旅でしたが、桜のタイミングは見事に「バッチリ」で、様々な見どころと美味しいものを「タップリ」と堪能しました。
これからも体力を維持し、様々な土地の美しいもの、美味しいもの、面白い歴史に触れ続けたいと改めて思いました。
この記事を書いた人
- 青井 三郎
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食いしん坊侍のスタッフ青井三郎。
戦後、奈良に生まれて大阪で育つ。6人兄弟の末っ子だったせいか、幼少の頃から食べることへの執着が強い食いしん坊だった。
野球少年だったが読書好きでもあり、日本や世界の文化や歴史に強い興味を持つ。大学時代には世界に触れたい欲求が高じ、1ドル360円の時代ではあったが、ヨーロッパ、南米、アフリカを3か月ほど巡る旅をした。結婚し東京で4人の子供を育て終えると、アメリカ西海岸のポートランドに10年間、美しい海と温暖な気候に惹かれて沖縄に3年間住む。
現在は、美食を求めて北海道へ移住。札幌を中心に食べ歩きを楽しんでいる。
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